かつてはまったく無名の磐田市桶ヶ谷沼も,今やトンボの桶ヶ谷沼として全国にその存在が認められるようになり,保護運動も高まりつつある.この沼はトンボ以外にも多くの水生昆虫,カワバタモロコなどの淡水魚,さらに野鳥も100余種を産し,中でも冬のマガモの大群は圧巻で,四季を通じて楽しむことができる自然の宝庫と行ったところ.
こうしたことから,この沼には最近いわゆるトリキチ,ムシキチなる人種の訪れが多い.そこで筆者はことあるごとに,一見してそれらしき○○キチなる人に声をかけ,調査の目的や所属団体をおたずねしている.その返事たるや若い方(ここではほぼ30才以下)の9割は,どの団体にも属さない,いわゆる無所属という不思議な現象?が増加中.ちなみに年配の方の所属率は約半分,そこでそのわけをお聞きすることがある.図鑑や参考書,はてはビデオまである昨今,勉強は自分流で十分可能,入会して役でもやらせられたら大変なこと,といった点がほぼ共通の返事.確かによくお勉強しているらしいが,単なるコレクター,仲間意識の欠如が最大の欠点.しかしこれを嘆いても前進はない.筆者はその都度入会をし御活躍を勧めている.
桶ヶ谷沼が現在までなってきた歴史的経緯や現状については,当然参考書には1行もなし.独学でその深いわけもわからずじまい.これまでにそれぞれの団体が団体として行動を起こしてきたからこそ,桶ヶ谷沼は現在までかろうじて命をつないできたのが実情.それぞれの団体にあって,それぞれの会員が努力してきた結果であり,まさに仲間としての力といえよう.若い層の仲間意識離れの傾向が見られるのは,もっとも先行き不安の一つ,乱獲屋,コレクターになり下がる前に,早いところ声をかけ,仲間に入ってもらおうではないか.人と人とのつきあいの中で,参考書に全然載っていない興味深いことが,あるいは最も大切なことが得られることを,早い機会に知ってもらうために.
私は最近ではトンボばかりを追いかけているが,チョウの採集に行かれた方々から,ついでに採集されたトンボの標本をいただくことが多く,大変感謝している.
甲虫類の採集方法はいろいろ複雑であり,独自のものが多いが,チョウとトンボのそれは,いずれも捕虫網が主体であって,飛んで来たり,飛び立ったりした虫を発見して採集することが多い点ではよく似ている.さらに,採集物を三角紙に収納する点も共通している.
採集方法は共通していても,トンボの調査の場合には,平地の沼地や河川の方が主なフィールドであるため,チョウの採集に行くことが多い山地は意外な盲点になりやすい.そこで分布上・生態上で注目されるトンボの記録が,蝶の採集行から生まれることになる.
春季のスギタニルリシジミ,ウスバシロチョウなどの生息地からはムカシトンボ,ムカシヤンマ(いずれも系統的に古いトンボで静岡県内での分布調査は不十分である.).クロサナエ,ダビドサナエ,ヒメクロサナ(これらは渓流性の小型サナエトンボであり,前二者には微妙な「すみわけ」が見られる.ヒメクロサナエの場合には,駿河の昆虫No.100に筆者が解説をしたように,東北日本型と西南日本型があり,ちょうどダイミョウセセリの関東型,関西型のような形で分布されるものの,静岡県下では両方の方および中間型が分布すると考えられるので資料の集積が期待される.)カワトンボ類,ホソオツネントンボ,ホソミイトトンボなどが記録されている.
夏季のゼフィルス類やベニヒカゲなどの生息地となる渓谷や稜線部からは,ミヤマサナエ(河川の下流部で発生し,山地へ移動するトンボであるが,成虫はなかなか得難い種である),ルリボシヤンマ(寒地系の高山トンボの一つとされている美しいヤンマであり,発生地,発生経過などが注目される.),アキアカネ,ノシメトンボなどが記録される.
それでは逆にトンボを採りに行って採れる面白い蝶はないかと考えてみたが,残念ながらあまり思い当たらなかった.無理にあげれば,越冬後のクロコノマチョウ(これは毎年何頭か目撃したり採集したりする.)と迷蝶ぐらいであろうか.筆者の採集した迷蝶,カバマダラ,メスアカムラサキ(いずれも駿河の昆虫に発表すみ)は,海岸,河川に近いところでの採集であり,チョウの採集には不向きな場所であった.さらに採集はできなかったが不振なチョウも何回か目撃している.
以上のようなわけで,なかなかお返しはできないが,これからもチョウを採りに行った時にトンボを採っていただければ幸いである.
筆者がかれこれ30年前,'ちゃっきりむし'の前身である静岡昆虫同好会ニュースを創刊し,編集に当たったとき,あたためていたシリーズものの構想のひとつに「郷土の先輩たち」があった.古い「昆虫世界」という雑誌をひもとくと,静岡県からも投稿する常連がいて,静岡県内の昆虫愛好家の活躍がうかがわれたものである.こういった昆虫愛好家の足跡を紹介するシリーズものを考えたわけである.まず神村直三郎さんの足跡などを執筆していただこうと思っていたのが斎藤偏理さんであった.その斎藤偏理さんが夜間採集の帰途,交通事故にあわれて他界されてから四半世紀が過ぎてしまった.
斎藤さんについては非常にたくさんの紹介すべきことがあるが,氏と旧制浜松一中でご一緒だった渡辺一雄先生にもぜひ書いていただきたいものである.
斎藤さんの業績の中でまず紹介しなければならないのは,亡くなる直前まで力を入れられた静岡県西部の蛾類相の解明である.その多くは筆者も同乗させていただいた80ccのベビーライラックを走らせて夜間採集されたものであった.
小笠山ではチャオビフユエダシャク(分布の東限)をはじめ多くの珍しい蛾を発見され,小笠山が植物相でけでなく昆虫相においても貴重な存在であることを明らかにされた.
やはり永年蛾を採集された森下強三さんや,コマユバチなど蜂類の大家であった南川仁博さんも先年故人になられてしまった.生前親しくお付き合いいただいた者としては静岡県で活躍されたムシヤとしてご紹介しなければならない方々であろう.いろいろな方から「郷土の先輩たち」についてご執筆いただきたく提案申し上げる次第である.
わが家の庭先にニレの木かある.2本の木がからみあうようにのびて,1本の木のように見える.樹齢は十数年,高さは6〜7mある.筆者は長年これをケヤキと思いこんでいた.なぜならケヤキの盆栽セットとして貰った種子を播いたものだからである.9月の末に花がさくからアキニレだろうか.
1985年春この木の枝先に鱗翅目の幼虫の一団をみつけた.フトメイガの一種の幼虫くらいだろうと思っていたところ,半月ほどして大きくなったタテハチョウの幼虫が分散しはじめ,ヒオドシチョウであることがわかった.さらに数日たつと幼虫は全部木をおりて,すぐ隣のキンモクセイの枝や家の軒先に移動し蛹化しはじめた.さなぎの数はおよそ220〜230,ニレの木で蛹化したものは1匹もいなかった.
羽化は5月30日から始まり6月1日に終わった.羽化率は4割程度,羽化できなかったものはヤドリバエの寄生によるものが多かった.羽化した個体は♂で33mm前後,♀で38mm前後と,ふだん見るものよりやや小型のようであった. 軒先にずらりと並んださなぎは壮観であったが,アシブトコバチが飛んできてこのさなぎのまわりを飛びまわるのが観察された.ハチが近ずくとさなぎばはげしく体を振る.ハチはそのまま飛び去ってしまった.アシブドコバチが蝶のさなぎに寄生する時期は蝸化直後の表皮がやおらかいときに限られ,硬化してからの寄生は少ないことが知られているが,このようなさなぎの行動が関係しているのかもしれない.