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<Web ちゃっきりむし 1983年 No.54〜58>

● 目 次
 渡辺一雄:アサギマダラ―生態の一断面― (No.54)
 鈴木英文:クモツキって何だ? (No.55)
 福井順治:愛鷹山のカワトンボ (No.56)
 池田二三高:アサギマダラの移動 (No.57)
 高橋真弓:日浦 勇氏を悼む (No.58)

 ちゃっきりむし No.54 (1983年2月10日)

  アサギマダラ―生態の一断面― 渡辺一雄

アサギマダラは大型の美しい蝶で,自然の中にある姿は実に印象的である.山歩きをする人たちも,この蝶のことだけはよく知っているほどであるが,蝶好きの人達には不思議と人気が低い.蝶をやり始めたばかりの人の対象にはなるが,しばらくすると,この蝶に対しては関心を失ってしまう.蒐集するだけの趣味だったら,こんな手に入りやすい蝶はないからだろうか.

 この蝶の行動については,わからない部面がかなりある.一般には,夏季には山地のお花畑や林道で群れ,それ以外の季節には低地で生活するぐらいにしか認識されていない.

 私は1980年4月中旬に,浜北市にある林の中で,キジュランの葉とつるに産みつけられている数卵を見つけ,飼育したが,これらはすべて無精卵であった.アサギマダラは幼虫で越冬をし,羽化するのは,早いものでも5月上旬である.幼虫数の割に発見できる羽化殻は少ない.垂蛹にキジュランをはじめ,周辺にある木の葉裏についていることが多い.この時期に発生地付近で成虫を見ることは極めてまれである.羽化直後のアキアカネのような移動をするのであろうか.4月中旬に卵が見つかったことは何かなぞめいたものを感じる.低地で再びアサギマダラが目につくようになるのは秋になってからである.夏季には高山のお花畑や尾根などに群れていることが多いので,山登りの人の目にとまることが多くなる.したがって,短絡的に考えれば,漂鳥方式の移動ということになってしまう.しかし,実際には,低地から高地へ高地から低地へ移動する観察報告はほとんどないといって良い.

 湖西連峰や小笠山など県西部の低山地の林には,ところどころにキジュランが自生している.このような場所では秋季にアサギマダラが多いが,よく注意してみると,夏季でも薄暗い林の中で,少数の蝶が見られる.残留した一部の蝶が,他地から移動したものか区別はつかない.ともかくなぞの多い蝶である.些細の観察の蓄積が本種の生態を解明する手がかりとなるであろう.

 ちゃっきりむし No.55 (1983年5月10日)

  クモツキって何だ? 鈴木英文

 ここ数年来,一部の蝶屋のあいだで蝶の和名を短縮して呼ぶことがはやりはじめたようだ.クモツキとか,バキ,バシロなどという呼び名で,それぞれクモマツマキチョウ,ウスバキチョウ,ウスバシロチョウの短縮形であるようだ.この最後につく「チョウ」は省略して呼ぶこともあるが,それ以上の勝手な省略は名称として意味をなさなくなり,単なる記号と同列まで落ちてしまう.

 このような名称の勝手な短縮化は何も蝶だけに限らず,古くはモボ,モガといったようなものから,ジュク,ブクロなど先に上京した田舎者が後から上京した田舎者を笑うために考えたとしか思えないようなものまでいろいろあるが,これらに共通していえることは,その言葉を使っている本人は"ナウくカッコイイ"と思っていても,はた目には軽薄としか思えないことである.最近は軽薄短小が流行だとはいえ,そんなものは一部の低俗なマスコミの世界だけにしてもらいたいものだ.

 本来.名称は一人でも多くの人にその意味を通じさせることを必要とするものであろうから,雲間褄黄蝶ならその蝶を知らない人でもある程度想像できるかもしれないが,クモツキだとキツモツキの親類で,オカルトの世界になってしまうのではないか.

 ここでクモツキやバキは愛称であると反論があるだろうが,愛称と名称の記号化とは別のもので,愛称をつけるなら,アオスジアゲハをクロタイマイ,ウラゴマダラシジミをウチムラサキシジミとした先学のセンスを見習うべきであろう.

 また短縮化とは逆に,余分なものをつけたがるのもどうかと思う.アゲハをナミアゲハ,ジャノメチョウをタダジャノメなどといういい方である.これらは波状紋があったり,多田野さんが最初に採集したりしたわけではない.アゲハ,ジャノメチョウで必要にして十分である.

 ちゃっきりむし No.56 (1983年6月20日)

  愛鷹山のカワトンボ 福井順治

 富士山の南に"東海アルプス"の異名をとる,標高の低い割にはたいへん険しい愛鷹山と呼ばれる山々がある.この山のふところの谷川にすむカワトンボをぜひ採りたいと思い,何度か出かけたがすべて失敗している.カワトンボは普通種である.初夏の頃ならばたいていの低山地の流れに多産するし,飛び方も遅く,すぐ止まるのでたやすく採れる.場所を変え,時期を変えて出かけてもそれが採れないということは,愛鷹山では個体数がごく少ないということだろう.

 カワトンボは現在でも分類上いろいろな問題をかかえるトンボであり,分布,生態,形態,進化などについて,このトンボに熱い視線を投げるトンボ屋さんは全国各地にかなり多い.私もそのひとりであり,静岡県を中心にカワトンボの形態や分布を調べているというわけである.

 愛鷹山でカワトンボを採るチャンスがなかったわけではない.今から14年も前の1969年6月1日,私は越前岳,呼子岳へ登り,道に迷って大変苦労しながら須津川へ下ったことがある.このときには確実に何頭かのカワトンボを目撃したことを覚えている.今にして思えば実に悔しいことであるが,当時はカワトンボの分類や分布には関心が薄く,捕虫網を持っていながら1頭すら採ることをしなかった.

 そこで,最近出かけて失敗する度に思い浮かぶのは「5Tの教訓」である.5Tとは,「採れる虫を,採れる所で,採れる時に,採れるだけ,採れ」という五つの採るである.何という昆虫保護に逆行し,乱獲を推奨するような言葉であろうか.しかし,14年前の愛鷹山の時にはほとんど採集成果はないままだった.採れる虫は普通種カワトンボだけだった.今にして思えばちょうど採れる所であり,採れる時であったと思う.形態を調べるにはある程度の個体数を採れるだけ欲しかった.珍虫が採れなくても,目の前の虫を採るという気持ちでネットを使っていれば,こんなに苦労して険しい谷を再調査する必要なかったと思うと重ね重ね残念でならない.

 「5Tの教訓」はまだまだ生かされる道があると私は思う.たとえば,郷土の昆虫相の解明はアマチュアにとってたいへん良いテーマであるが,昆虫は気違いじみた程度に種類数が多いことを忘れてはならない.とりあえず普通種でも,関心が薄いグループでも,とにかく採ることをもっともっと積極的にやるしかないという現状だと思っている.

 ちゃっきりむし No.57(1983年9月20日)

  アサギマダラの移動 池田二三高 

 愛知県の伊良湖岬では数年前からサシバの渡りの群中に多数のチョウが見られ,これは鳥屋の仲間では周知の事実だったとのことであるが,昨秋,本会会員の坂神泰輔氏により,これがアサギマダラとして確認された.氏の観察によれば,移動時期は9月下旬〜10月末.10月中旬が最盛,時刻は日の出から開始され午前中に終息,飛しょうは一定方向(ここではNW→SW)を保ち,高さは10数mから数10m・・・・等々,今までのチョウとは全く異なる行動が明らかになった.この結果,すでに知られているように春は九州から東北方面に向かう北上移動とは逆に,秋には南下の移動現象であることが推察される.

 静岡県でも越冬幼虫の食草(キジュラン)の無いまたは少ない地点で,夏〜秋に驚くべき個体数が観察されることがあり(天城山系,南アルプスなど),従来から成虫の移動は小規模ながら活発に行われることは推察されていたが,アサギマダラは我々が想像していた以上に大規模な移動を行うチョウであったわけである.

 近年,多くの昆虫が大規模な移動を行っていることが明らかになってきており,その試みもまた盛んである.特に数種のチョウは,古くから季節的に移動を行うことが推察されているが,その移動のルート,規模,時期などは,イチモンジセセリで若干解明されているにすぎず,移動の持つ意義などは依然として大きななぞのままである.県下の場合は移動ルートの確認さえ行われていないのが現状である.

 移動の証明には,マーキング個体の放虫と回収が不可欠であるが,この作業は非常に難しく誰もが容易に行えないのが現状である.しかし誰でも各地における採集・目撃の記録,移動現象の観察は可能である.たとえ一つの点であれ,集積されることにより線となって移動の実態は自ずと鮮明になってくるであろう.こうした移動ルートの解明には,数多くの正確な目が必要である.会員諸氏の正確な目を持って,まずアサギマダラの移動ルートの解明の御協力をお願いしたい.埋もれているデータ,この秋のデータの数々を「駿河の昆虫」に投稿されることを切に望む次第である.

 ちゃっきりむし No.58 (1983年11月30日)

  日浦 勇氏を悼む 高橋真弓

 「海を渡る蝶」,「海の来た道」,「自然観察入門」などの著書で知られる日浦勇氏(大阪市自然史博物館学芸員)が去る10月18日未明,急性心不全で逝去されました.

 日浦さんは,際だって頭脳明晰な方で,広い視野と博学で知られ,とくに蝶を主題とした生物地理学(分布論)では第一人者でありました.いっぽう,民間の研究家,いわゆるアマチュアをたいせつにされ,その業績を高く評価して学会に紹介することでも大きな足跡を残されました.たいへん気さくな方で,いつも親切に"アマチュア"や学生の相談にのられ,多くの人々から慕われていました.私たちの静岡昆虫同好会についても高く評価され,このことについてはいくつかの著作の中で述べられています.

 日浦さんは1932年生まれで,51才という働きざかりであり,これからますます活躍していただきたかったのに,本当に惜しいことでした.慎んで心から故人のご冥福をお祈りしたいと思います.