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<Web ちゃっきりむし 1981年 No.46〜49>

● 目 次
 池田二三:仲間をふやそう (No.46)
 平井克男:アオジョウカイのこと (No.47)
 鈴木英文:中央アジアの草原の蝶 (No.48)
 橋真弓:クロコノマチョウ調査に思うこと (No.49)

 ちゃっきりむし No.46(1981年3月31日)

  仲間をふやそう 池田二三

 近年まれに見る寒波に見舞われた今年であったが,ムシ達の冬越しはどうであったろうか.

早,野山は花に緑にあざやかに変身し,ムシ達の訪れを待っている.我々ムシ屋にとっても,本格的なシーズンの到来といってもよいであろう.

 この機会をとらえ,我々の仲間をふやそうではありませんか.本会々員の平均年も察するところ相当の年配となり,この先々の行動力が己ずと制限されてくることが考えられます.現在,幸いにも「駿河の昆虫」の原稿は十分量であり,未登載原稿が手元にたまるほど編集者はうれしい悲鳴をあげている昨今となっています.内容にはチョウ以外の報告も多くなり,着々と他分野の開拓も進んでいる傾向にも見えますが,まだまだ全く手づかずの分野も多く残っています.これらを現有会員で補うことは到底無理ですし,ましてあざやかな変身を図れるほどお互い若くはないかも知れません.残された分野は若い新人に頼る以外なさそうですし,それが長い目で見れば最良と思えます.同好の志を一人でも多く勧誘するとともに,他分野に興味をいだかせるよう新人の発掘を行っていただきたいと思います.

 今年,静岡県は,県内の生物リストの作成を計画し,その中には無論昆虫も入いっています.これは学術調査を実施してやるものではなく,我々アマチュアの足で集めた資料を借用する全くムシの良い計画でもありますが,行政当局が昆虫に対してチラッと目を向けてきた現状だけは,少し評価できましょう.本会々員が主体となって進めることになりましょうが,全くの空白部分が生ずることはいなめないでしょう.

 本会発足の主旨の中に「県内昆虫相の解明」があげられています.これは果てしない調査研究になるでしょうが,互いに組織の力を発揮し,着々と成果が上げられるよう,会員相互の連帯を深めるとともに,新人の勧誘にも努力をお願いします.

 ちゃっきりむし No.47(1981年6月26日)

  アオジョウカイのこと 平井克男

 アオジョウカイは鞘翅目ジュウカイボン科の一種である.この科はホタル科とともに軟翅類と呼ばれ、体や上翅が軟かく,触角は糸状,鋸状または櫛状を呈していて食肉性である.甲虫類というと上翅が硬く,一般にカブトムシ,カミキリムシのイメージが強い.捕えてみるとフニャフニャして何となく気持が悪いと思われた人も多いと思われる.甲虫類の研究というと,カミキリムシ、コガネムシなどに人気が集まるのも無理ないかもしれない.カミキリムシ科,フタコブルリハナカミキリは大型の美麗な種で山地に棲息している.私もぜひ本種を採集してみようと何度かトライしたが,私が主に活動しているフィールド(安倍川流域)には少ない.フタコブルリハナカミキリの翅鞘のブルーの色が何となくアオジョウカイの翅鞘の色と似ている.この辺がまちがいの因で,私は何度フタコブルリハナカミキリと間違えてアオジョウカイをネットしたことだろうか.(標本を見ればはっきり違いのわかる種なのだが)何度とそのようなことがあって下十枚山で始めてフタコブルリハナカミキリをネットしたとき,その量感のちがい,飛翔のちがいがはっきりと感じとれた.ノリウツギの白い花のまわりを飛翔し,花にとまった本種を鮮やかに思い出す.しかしながら,最近はアオジョウカイを見なおしている.というのも平地で本種を見ることは全くないので,山地と平地の標高とか環境のちがいから分布状況がくっきりとプロットされて出てくるのではないかと考えている.

 春先に現れるヒラヤマコブハナカミキリはかなり珍しい種で,カエデの花に集まるといわれるが,採集例はきわめて少なく,花よりむしろ飛翔中をネットしたケースが多いようである.私もひそかに毎年毎年ねらっているのだが,今だにまったくチャンスに廻りあわず,本種の保護?に協力している.本種の翅鞘は赤いので,アカハネムシ(これも翅鞘が赤い)が飛んだと思ても捕えてみなければいけないということなのだが,いつでも飛翔中の赤い甲虫をネットすると,アカハネムシ,ベニコメツキということで,本当にうまくいかないものである.人間の社会にも、ネットするまでは〇〇と思いこんでいても,ネットしたら全く違ったものだったということは実に多いことで苦笑させられる.

 ちゃっきりむし No.48(1981年8月20日)

  中央アジアの草原の蝶 鈴木英文

 ボロディンという音楽家の作曲した「中央アジアの荒原にて」という曲がある.この曲のバックにはどんな蝶が飛んでいるのかと考えたことがある.NHKで放映されるシルクロードの特集を見ていると,あの天山山脈にはどんな蝶がいるのかと想像してみる.そこは純粋な草原の蝶の世界であるはずだ.

 そこにいる蝶は,日ごろ馴れ親しんでいる富士山麓や甲府盆地周辺の草原の蝶とどう違うのか,そしてどこが似ているのか,このことを自分の眼で確かめることは今後の調査の上でも役立つことであろう.

 さいわい今年の7月下旬,中央アジアにあるソ連邦キルギス共和国の中心地フルンゼ市から南へ40kmほどのところにある天山山脈の一角(キルギス山脈),アラ・アルチャ渓谷で5日間の採集・調査を行うことができ,50種余の蝶を採集してきた.

 その中には,モンキチョウ属,チョウセンシロチョウ,ツマジロウラジャノメに近縁な属,ベニヒカゲ属,ヒメシジミ属,ベニシジミ属,ヒョウモンモドキ属,コヒョウモンモドキ属,ウラギンヒョウモン,ギンボシヒョウモンなどの大型ヒョウモンなどが見られた.

 日本でいう草原の蝶は,露岩地、荒原,乾生・湿性草原,疎林までを含めて考えるが,中央アジアのキルギス山脈の草原では、環境としては湿性草原の欠除,蝶としては,疎林の蝶の欠除ということが見られた.富士山麓などにおいては,疎林的環境を好む種類が多く,疎林は草原や疎林に比べ,多くの種の生息地となっているが,このキルギス山脈ではこのようなことは見られず,むしろ山腹の急傾斜地の草原に多くの種類が見られた.

 もう一つ感じたことは,静岡昆虫同好会の先輩諸氏が富士山麓や甲府盆地周辺で行ってきた調査方法が,そのまま中央アジアの草原の蝶を調査する上で有効であったということである.それは一部の珍種のみにとらわれることなく,できるだけいろいろな環境を歩き,できるだけ多くの種を採集するよう心がけることで,とくに今回のような短期間の調査では,成果を上げるための最良の方法であることを再認識したしだいである.

 ちゃっきりむし No.49(1981年12月20日)

  クロコノマチョウ調査に思うこと 橋真弓

 秋になると,静岡県の蝶類愛好者のあいだではクロコノマチョウのことが話題になる.昨年(1980年)は静岡県中西部,山梨県富士川流域,長野県下伊那地方などで本種の大発生が見られたが,本年は個体数がかなり減少したようである.

 イギリスのようなナチュラル・ヒストリーの伝統のある国では,前世紀からいろいろな蝶がどのようにして分布をひろげ,あるいはどのようにして消えていったかということが詳しく記録されている.日本ではこのような資料の蓄積はまだまだ不充分ではあるが,1955年にはじまる静岡県におけるクロコノマチョウの大発生とその後の発生状況についての調査は,本年で27年目を迎え,日本における蝶の発生消長の調査としてはユニークなものの一つと思われる.

 かつての大発生のはじまった1955年,私は21才で静岡大学の学生であった.そのころ,静岡県の蝶好きの高校生や中学生たちはクロコノマ調査に情熱を燃やしていた.彼らは5万分の1の地図にある神社や寺のマークをたよりに,自転車を利用して次々に分布地点を確認し,見事な成果を上げたのであった.そしてそれは,受身で打算的でしらけきった高校生が目につく今日の状態とはまったく異質なものであった.

 今日のクロコノマチョウ調査の状態はどうであろうか.「駿河の昆虫」No.112に発表されたように,1980年の大発生の状況は本会々員の精力的でしかも効率の高い調査によって詳しく明らかにされた.この調査の中心となったのは,かつての大発生のころ高校生や中学生としてこの蝶の調査に没頭した人たちであった.彼らはその後20年間に立派なナチュラリストとして成長したのである.

 それにつけても,近年のクロコノマチョウ調査に高校生や中学生の参加がほとんど見られないのは何としても淋しいことである.生徒たちの自然への関心の芽をつみとり,大量の理科ぎらいの生徒をつくり出した"高度成長期"の理科教育は,最近になっていくらかの手直しは行われれいるが,すくなくともこの10年間に生徒たちの自然への関心が著しく低くなっていると感じているのは私だけであろうか.

 私は,秋のクロコノマチョウ調査からも,理科教育の中では,視野の狭いあの"探究の過程"などよりも,生徒たちにもっとじかに自然に触れさせることの方がはるかに大切だということを考えさせられるのである.