鹿児島県薩摩半島におけるツマベニチョウ,大阪府箕面におけるギフチョウ,首都皇居におけるオオムラサキ,さらに最近の静岡県富士宮市におけるオオムラサキの放蝶が,いずれもマスコミによって自然保護の美談としてり上げられていることは,周知のとおりである.その蝶が分布していないところへ,遠隔地から運ばれた材料にもとづく幼虫や蛹などを放すこれらの放蝶については,美談として賞讃する立場と,学問的な見地から問題があるとする立場があり,現在二つの見解が対立している.
この件については,主として自然観の相違にもとづく難しい問題があるが,本会の幹事会で検討した結果,「放蝶はごく特殊な場合を除き,一般には好ましくない」という結論を得たので,ここに基本的な立場を表明し,あわせて当面の問題について考えてみようと思う.
私たちが一般的な意味で放蝶が好ましくないと考える理由の第一は,蝶のすべての種には何らかの地理的変異があり,それぞれの地域において,多かれ少なかれ,地理的分化をおこしており,ここへ他の地域の個体が放された場合,たがいに交雑してその地域の個体群の遺伝的な資質が混乱し,将来の研究に支障をきたすおそれがあるからである.
第二に,現在蝶の分布を調べ,その歴史的成りたち,過去の自然環境の復原,人間生活とのかかわりあいなどを研究しつつある私たちにとっては,今までに未記録の蝶が採集された場合,その蝶がもともとそこに生息していたのか,それとも人為的に放蝶されたものであるかは区別できず,研究に混乱をきたす可能性がある.
理由の第三は,その地域に新しい生物を移入することによって,食物連鎖や競争関係など見えない糸によって結びつけられているさまざまな生物に少なからず影響を与え,生態系のバランスをくずし,ひいては本来その地域に生息している貴重な生物を滅ぼすことにもなりかねないことである.
最後に,私たちは真の自然保護とは,無計画な"開発"から,現在その地域に生活している植物の生育地や動物の生息地を守ることであり,いたずらに都会などに珍しい野生植物を植えたり珍しい蝶を放したりすることは自然保護とはいえず,自分の身近かなところにその生物を置きたいという"自然改造"にほかならないという見解をもつからである.
上記のごく特殊な場合とは,その蝶の繁殖力,行動範囲などが十分に調査され,その生息地の十分な管理が可能である場合をさし,この場合はとくに慎重な配慮のもとに計画を進めるべきであると考える.
去る1月17日に,富士宮市阿幸地の富士宮市立富士見小学校において行われた放蝶については朝日、毎日,読売,中日,静岡の各新聞社と,NHKのテレビ、ラジオがとり上げ,それが大きく報道された.放蝶に用いられたオオムラサキは近畿以西の西日本産のものであるという点問題があるが,さいわい富士南麓一帯には,すくなくとも現在オオムラサキは分布していないものとみられ,十分な飼育管理が行われるならば,予想される心配はかなり防ぐことができると思われる.いずれにしても,マスコミのこのような問題への対処のしかたには,単なるセンセーショナルなとり上げ方ではなく,節度と慎重さが強く望まれるところである.
放蝶が行われた富士見小学校は,3年前に創立した新設校で,宇佐美勝司校長以下,全校あげてこのオオムラサキの放蝶を機会に,いっそう児童の自然への関心を高め,自然を愛する人をつくる教育にとり組もうとしている.私たちは,上記にような放蝶に関する見解をもつにもかかわらず,児童たちの夢を傷つけるようなことはみじんも考えていない.児童たちの自然研究が,このオオムラサキからさらに進んで富士山の蝶や他の動植物を含む富士山の自然へと深められていくことを期待し,またこの学校からすぐれた科学者やナチュラリストが育っていくことを心から願ってやまないものである.
本会としても,これを機会に自然保護のあり方を皆で考え,郷土の発展のために努力していきたいと思う.
『オオムラサキ放蝶』と新聞記事
今回のオオムラサキの放蝶に関する記事を扱ったのは,朝日(1月12日、18日),毎日(1月4日,18日),読売(1月14日),中日(1月18日),静岡(1月18日,19日)などの各新聞社であり,このなかでもっとも大きく紙面を割いたのが1月18日付の中日新聞(17×31cm)と1月18日付の静岡新聞(18×24cm)でした.ここでは紙面の関係で,1月19日付の静岡新聞と1月12日付の朝日新聞の記事を紹介しておきます.(いずれも朝刊に掲載)
富士宮市におけるオオムラサキ放蝶については,「ちゃっきりむし」No.50でとりあげられましたが,その後の経過について報告します.
@ 富士宮市立富士見小学校訪問
3月26日,清邦彦氏とともにオオムラサキ放蝶の行われた々小学校を訪問しました.当日は学年末の人事異動などで多忙な時期であったにもかかわらず,宇佐見勝司校長はじめ,担当の渡井英光先生ほか全員の先生方が"校内研修"という形で私たち2人を交えて,わざわざ研究会を開いてくださいました.
清邦彦氏はご自身の体験をもとに,同小学校付近一帯の蝶相が,富士川流域のものとも,朝霧高原のものとも異なり,"雑木林"を代表するものであること,そして最近の「開発」による環境変化によっていくつかの蝶が絶滅したが,今なお若干の貴重な蝶が生き残っており,この小学校を取り巻く雑木林に恵まれた自然環境が,今後,子供たちの自然教育を進めていく上でのすぐれた「場」になることを指摘されました.
続いて私は,オオムラサキの静岡県とその周辺における分布と生態の概要を述べ,放蝶一般のもつも問題点と今回の放蝶をどのように生かしたらよいかということについて考えを述べました.
この二つの話題提供のあと,先生方からいくつかの質問も出て,なごやかな雰囲気のうちに会を閉じました.
そのあとで,校内で飼育中のオオムラサキの幼虫や,校庭の"大エノキ"および弓沢川沿いの傾斜地での放蝶の状態を見せていただき,今後おたがいに交流を深めて研究という立場で協力し合うことを約束して校門を出ました.
A マスコミ関係への"ちゃっきりむし"No.50の送付とその後の新聞報道
3月27日付で,オオムラサキ放蝶を扱った朝日,毎日,読売,中日の各新聞社の静岡支局,静岡新聞社,それにNHK静岡放送局へ下記の手紙を添えて,本会幹事会声明の「いわゆる放蝶について」の掲載された"ちゃっきりむし"No.50を送りました.
以下送付文
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早春の息吹の感じられる季節となりましたが,お変わりないことと存じます.
私たちは,1953年に静岡昆虫同好会を結成し,現在全国に約250名の会員がおり,会誌"駿河の昆虫"と会報"ちゃっきりむし"をそれぞれ年4回発行して,郷土の昆虫の分布・生態の解明にささやかながら努力を続けてまいりました.現在,会誌はNo.116まで,会報はNo.50まで発行しております.
さて,去る1月4〜19日にわたって,多くの報道機関によって,富士宮市立富士見小学校におけるオオムラサキ放蝶に関することが報道されました.これにつきました,去る2月7日,本会幹事会で検討し,"ちゃっきりむし"No.50に基本的態度を表明することにいたしました.
私たちは放蝶一般について深い疑問を持っており,それらの結果予想される種の分布や遺伝資源の混乱,そして生態系のバランスの破壊を恐れるものであります.
したがって,今後そのような件を扱われる場合には,上記のことを十分に検討された上で,いっそう慎重な報道が行われますようご配慮をお願いいたします.
1982年2月20日
(静岡昆虫同好会 代表・高橋真弓)
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これについて,朝日,毎日の2紙がとりあげました.朝日の記事は,主として本会の放蝶一般についての考え方と,全国的にオオムラサキの放蝶を進めている奈良県野生生物保護委員会の立場を紹介し,さらに日本鱗翅学会の白水隆会長の見解を紹介した短いものでしたが(4月2日付夕刊),毎日の記事は,さらに大きな紙面を割いて,現実に行われた放蝶をどのようにして管理し,それを研究に結びつけていくかについても触れ,さらに日本鱗翅学会の阿江茂理事(自然保護委員長)の談話を載せています(4月3日付朝刊),次に紙面の都合で朝日の記事を掲げておきます.
いずれにしても,今回の放蝶の場合は,放蝶一般の持つ問題点を常に意識しながら,放蝶をできるだけ前に述べたような混乱が起こらないように管理し,オオムラサキの成虫の野外における寿命,行動範囲など,これまであまりわかっていない分野の研究のために役立てていくことが現実的であると思われます.それに実際にオオムラサキの飼育・観察に真剣に取り組んでいる富士見小学校の児童の存在を忘れてはならないと思います.
今から20年ほど前には,マイカーなど持っている家庭はまだまた少なかった.その当時,東京には"機動部隊"と称する虫屋グループがあるそうな,という噂を聞いた.彼らは車を何台か連ねて採集に行くのだそうな.採集に行く手段として電車やバスを利用するしかない当時の私は,そういう方法もあるのかと思い,いずれ私も自由に車が使えるようになったら便利だろうなと考えた.
そして今では静岡でも大半の虫屋はマイカーで採集に出かけるようになり,調査にとても利点が多くなった.まず日帰り採集行の可能な範囲がぐんと広がったこと,また林道が整備されたことと合わせてかなり山奥まで車で入れるようになったこと,もう一つは,あらかじめ何カ所かの調査地点を決めておけば一日に数カ所の調査が可能となり,とくにある限られた蝶の分布調査を上で能率的な調査ができるようになったことである.
しかし,その反面,目的地まで車で行ってしまう関係上,車で通過してしまう途中の道沿いでの調査がほとんどできなくなってしまったことで,今までは目的地にいたる道筋を含めた線の調査ができたところが,目的地だけの点の調査になってしまったこと,また1カ所から他の場所へ簡単に転進がきくことから,一カ所での調査がどうしてもおろそかになってしまうという欠点が出てきた.
このようなマイカー使用による調査方法の変化が,今までの静昆を支えてきた地道な分布調査にとってマイナス面が多くなってきたと感じるのは私だけであろうか.
毎年秋に行われるクロコノマチョウの調査などには,車は十二分にその力を発揮してくれる.しかし未調査地域にどんな蝶がいるのかを調査する場合,その地域の入口で車をおり,あとは歩くのが最良の方法であると思う.何でも車で目的地まで行ってしまうという考えは改め,調査のための車の利用方法を一度考え直してみる必要がありはしないだろうか.
11月13〜14日,名古屋の南山大学で日本鱗翅学会第29回大会が開かれ,第2日目の午後2時間にわたって,「放蝶−自然の仕組みを考える」というテーマでシンポジウムが行われました.
はじめの1時間で四人の話題提供者からそれぞれ意見が述べられ,あとの1時間で討論が行われました.司会は私が担当することになりました.
最初の高倉忠博氏は,まず外国産と国内産のものに分け,国内産のものでは,別亜種のものは外国産のものと同様放すべきでないが,同一亜種の場合には種によって差し支えないという見解が示され,2番目の阿江茂氏は,同じ亜種の場合でも,さんちが異なれば遺伝的な集団が異なるので,安易な放蝶は行うべきではなく,これを行うためには特に慎重な計画が必要であることを述べられました.3番目の伊奈紘氏は,オオムラサキ研究の立場から,放蝶によって蝶が守れるのではなく,自然の回復の方がはるかに重要であることを指摘され,4番目の日浦勇氏は,蝶がある産地で絶滅したといっても,これを確認することは極めて困難であり,放蝶には批判的な見解を示されました.
以上四氏の見解は,いずれも放蝶に対して慎重ないし批判的な立場を表明されたものでしたが,これに対して,放蝶を積極的に進めている兵庫県から吉田真日出氏は,ひどい乱獲が行われている以上,放蝶をしなければ滅びてしまうことを述べられ,滋賀県の「近江町オオムラサキを守る会」の樋口善一朗氏は,放蝶は最善の手段とは思わないが,緊急に放蝶をしなければその種が全滅してしまう場合のあることを強調されました.
このシンポジウムによって,日本鱗翅学会としての放蝶に関する結論が出たわけではありませんが,会としても放蝶に対する認識がいっそう深まったのではないかと思います.このシンポジウムの記録は同会の「やどりが」に掲載されることになっています.
本会としての放蝶についての見解はすでに「ちゃっきりむし」のNo.50および51に表明されていますが,さらに論議がいっそう活発になることを期待しています.