ちゃっきりむし28号において杉本氏より校庭を利用しての食草園についての紹介がありましたが,このほど静岡昆虫同好会では,静岡県立文化センターの敷地の一部に蝶類食草見本園を造成することになりました.県立文化センターは,静岡市谷田のなだらかな日本平の北斜面にあって,県立中央図書館を中心として園地がとりかこむ広大な敷地を有しており,休日にはこれらを利用する家族づれなどでにぎわうところでもあります.この敷地の一角900uを利用して蝶類の食樹,食草および吸蜜植物などを植栽,造成するわけですが,このうち,すでに半分はコナラ林となっていて,樹液に集まるタテハ類にとっては良い環境ができており,低地性のミドリシジミ類の食樹見本としてもそのまま利用できます.残りの500uについて今年の2月ごろから作業をはじめ,2〜3年計画で造成していく計画です.
計画の内容は,この周辺に生息する蝶の食草を主体として植栽しますが,キハダ,カラスザンショウ,カラタチなどのアゲハチョウ科の食草区,クヌギ,マンサクなどのミドリシジミ類の区域,花だん式に区画した食草区などに区分し,林縁にはシモツケなどのかん木を,林内にはキジョラン,カンアオイ類などを植える計画です.この食草見本園は,これらの植物に発生した幼虫の観察,県内に分布する種の食草の見本,あるいは飼育用植物の供給などに利用し,また小,中学生の自然観察にも役立つと思われます.
これからの造成にあっては,静岡近辺に在住する会員の方々のご協力をお願いするとともに,苗木,資材の購入のための費用が必要となりますので,この計画の主旨にご賛同の方々のご寄付をいただければさいわいと思っております.
本誌30号において諏訪哲夫氏により本会の蝶類食草見本園の紹介がありました.その後会員有志の寄付金などをもとに,3月27日総会のあと,出席者全員で蝶の食樹を植えました.カラスザンショウ,コクサギ,カラタチ,クスノキ,ヤブニッケイ,オガタマノキ,クロウメモドキ,クロツバラ,イボタ,マンサク,オニグルミ,ブナ,ミズナラ,アベマキ,トチノキ,ユキヤナギ,シモツケ,アイズシモツケなどです.そのうちにいろいろな草本(食草)も植えたいと思います.分布調査にすばらしい成果を上げてきた本会の皆様も最近生態調査に力が入ってきた感じで,こうした食草見本園を研究に役立てていきたいと思っています.
今後,この食草見本園を研究や観察の場として育てていくために多くの食樹や食草を植えなければなりません.今回の造成や食樹の購入などで資金が苦しい現状です.蝶の生態観察に興味のある皆様からのご寄付をお願い申しあげます.
なお,下記の方がたからご寄付をいただきました.あつくお礼申しあげます.(受付順,敬称略)
山根知之,勝又泰雄,吉田良和,大田公夫,諏訪幸子,渡辺定弘.
蝶を知るには蝶以外のことをどれだけ知っているかにかかっている.
こんなことをいうと首をかしげる方があるかも知れない.しかし,たとえばゼフィルスの採卵のためには,クヌギやウラジロガシがどんな木か知っていなければならない.ギフチョウを飼育するためにはカンアオイを知っていなければならないというように,植物の知識が必要になってくる.
また一歩進んで,蝶の分布を考える段になると,マクロ的には古地理,古気候やプレート・テクトニクスの知識が必要になったり,ミクロ的には人類の農耕文化や気象学が必要になったりする.
蝶の生体について調べようとすると,鳥とか哺乳類とかの生態の研究方法が蝶にも応用できるものがある.
つまり,底辺が広がればピラミッドは高くなれるというもので,たとえ浅くとも,いろいろなことを知ることにより,蝶を見る目が多角的になってくる.そうすれば,ひところよくいわれたように,"日本の蝶はもう研究しつくされた"などという意見は出てくるはずもなく,わかっていないことの方がはるかに多く,われわれアマチュアにもできることがたくさんあるといえる.たとえ蝶とは全然関係ないようなことからも,突然アイデアがひらめき,すごいオオボラに成長するかも知れない.
だから,われわれは蝶のことだけに限らず,もっともっと蝶以外のことを知る必要がある.
しからば,知ったようなことを書いた私は,さぞかし勉強していると思われるかもしれないが,さにあらず,サラリーマンの私にとって,一日24時間は短かすぎ,ろくに本も読めず,フィールドにも時間をさけず,正直いって高いヒマラヤの山々を見上げて途方にくれている心境なのである.
「昆虫採集は最高のスポーツ」である.セミ博士として有名な加藤正世氏が且ていわれた言葉である.
加藤博士は昭和のはじめ,東京に「昆虫趣味の会」を設立され,「昆虫界」というすばらしい機関紙を発行し,日本全国の虫好きの少年達に大きな夢を与え,各地の同好者との交流の仲だちする面でも貢献した.年輩の昆虫学者の中には,この会で育てられた人も多いことだろう.
スポーツに情熱を傾けるのは,一般には若い時だけで,往年の勇者も,年令と供に,やるスポーツから見るスポーツに変っていくのが普通である.また,新鮮なものに対しての感動や驚異の心も薄れていく.
しかし私の虫好きは今もって全然衰えない.淡い陽光下に舞うベニシジミやツマキチョウを見れば,少年時代と変らない胸のたかまりを憶える.初夏の候,ヤナギの樹上を滑走し,幻想的な光を放つコムラサキを,河原の石の上に坐りこんでいつまでも見ていることもある.炎天下の草原を飛びまわるヒョウモンチョウを追いかけまわし,「まいった」と坐りこんでしまうこともよくある.疲れきっても爽快である.正に最高のスポーツである.
鹿野忠雄博士とは面接はないが,昆虫学者として登山家として著名な人である.不幸にして戦火の犠牲になられた人と聞く.博士の名著「山と雲と番人と」は昭和16年に刊行されたもので,台湾各地の高山を踏破された紀行文で,所々に昆虫の記事がでてくる.その中に,新高山に一筋の道をつけたことに対して,「自然破壊」だといわれている言葉がある.自然にしみをつけた人為的行為にがまんできないその心は,私にもよくわかるような気がする.私の大切な蔵書の一冊である.