近ごろは,自然の乱開発とこれに対する自然保護運動,それに関係官庁の昆虫採集禁止などの対応処置がとられるといった状況にあって,昆虫採集についても肯定論から否定論まで,さまざまな論議が行われている.
いちがいに昆虫採集とはいっても,@研究目的のための採集,A趣味としての蒐集のための採集,B商業上の目的のための採集などさまざまであるが,本会の会員には,まず@とAが該当するであろう.
昆虫の分布または分類を研究したことのある人は,何よりもまず標本が必要なことをよく知っている.たとえそれが研究のために採集したものであっても,また趣味のために採集したものだとしても,その価値に変わりはないはずである.正確なデータのついた町村別(または集落別),山系別,水系別,あるいは季節別などのぼう大な標本の蓄積が必要となる.このような標本はすくなくとも郷土の昆虫相の解明には絶対必要である.昆虫の分布や分類の研究では,野鳥などと違って,目撃記録や写真だけではどうにもならぬ例があまりにも多いのである.もちろん,たとえば静岡県西部のヒメヒカゲの産地にはほぼ全面的に採集を自しゅくすべき場所があるし,またギフチョウの産地で大量の食草を根こそぎ抜きとり,生息環境そのものの破壊につながる採集をするのは,みずから昆虫採集否定の世論をよびおこすばかげた行為であるが,一部の自然保護論者の主張する昆虫採集全面否定論は,むしろ昆虫の研究を遅らせる有害な見解といわざるをえない.
いろいろな事情で昆虫採集の蒐集をやめる人は,ぜひその標本を信用のおける人にあずけてほしい.それから,標本のデータのしっかりしたものであれば,どんなに痛んだものであっても,その価値はデータのついた完全品と同価値である.同じ標本というものは,けっして二度と採れないのである.それにつけても,地元に郷土の貴重な昆虫標本を安全に保存する県立の自然科学博物館が一日も早く建設されることを期待するしだいである.
本州におけるモンシロチョウ属の3種,モンシロチョウPieris rapae ,スジグロシロチョウP. melete ,エゾスジグロシロチョウP. napi の分布成立について,大坂市立自然史博物館の日浦勇氏は,さまざまな角度から総合的な意見を述べておられる.まず野外における3種の食性から,
1)P.rapae =外来種(キャベツ,ダイコンなど栽培種が主食),
2)P. melete =土着種(タネツケバナ属などが主食),
3)P. napi =土着種(ハタザオ属が主食)とし,
melete, napi, rapae の順に古いとされている.この新旧の順序については,日華区系に限られた分布をもつmelete がもっとも古く,ユーラシア大陸から北米にかけて広範な分布をするnapi がこれにつぎ,外来の栽培植物をおもに食するrapae がもっとも新しいと説明されている.私も3種の野外における食性調査を行い,3種の食性からそれらの分布の歴史を空想してみた.
1)P.rapae :人里においてはキャベツ,ダイコンなどをおもに食しイヌガラシ(外来種説もある)にもよくみられ,赤石山脈北岳ではヤマガラシ,富士本栖湖ではハタザオ,奥只見ではタネツケバナなどを食している.これらの場所でこのような土着のアブラナ科植物を年間とおして食しておれば,栽培アブラナ科とともに渡来したP.rapae の以前に土着のrapae がいたという2段構えの考えもありうる.
2)P. melete :タネツケバナ属をおもに食するとされているが,静岡県ではおもにイヌガラシを食し,ダイコンや栽培ワサビにも多い.タネツケバナ属ではすくなくともオオバタネツケバナやヒロハノコンロンソウにみられる.
3)P. napi :ハタザオ属に圧倒的に多く,タネツケバナ属,イヌガラシ属にもみられる.このような食性から考えると,栽培種にかなり依存性の高いmelete はnapi よりも分布成立の新しい種となり,けっきょく古い順に,napi, melete, rapae というパターンになる.世界的分布をみると,napi の分布地域は広いが,ヨーロッパのnapi は栽培植物の多いカブラ属を食べているし,また北米では,オランダガラシ属,グンバイナズナ属も食べ,終令幼虫の体側に黄色の横縞がある(本州産にはみられない).このようなことから,すくなくとも本州のnapi は,ユーラシア・北米のnapi とは性格のかなり異なったものといえるかも知れない.
私の勤めている星美学園は国鉄草薙駅のすぐ近くにあり,南側には住宅街をひかえて遠く日本平の麓へと続いている.一方北側は国道1号線に直接面しており空気は大変汚れている.このような環境ではそこにやってくる昆虫も大変少なかったが,7年前に私がここに赴任したとき,中庭にチョウの食草園をつくってチョウを誘引することを思いたった.さしあたりアゲハチョウ科の食草を植えてみた.ミカン科の各種とセリ科,クスノキ科,ウマノスズクサ科をできるだけそろえてみた.今ではどれも立派に育って枝葉をひろげている.3mに達するキハダの若木やコクサギ,イヌザンショウには毎年カラスアゲハの幼虫が見られるし,オナガアゲハが3年続けてコクサギとカラスザンショウの若木に発生している.また5年生のカラスザンショウは10mを越す木になってしまったが,これにはモンキアゲハがさかんに産卵に来て幼虫が育っている.このほかナツミカンなどにはアゲハ,クロアゲハの幼虫が絶えたことがない.クスノキの若木にはアオスジアゲハ,パセリの畑にはキアゲハが発生する.ただ,ウマノスズクサだけは,いまだにジャコウアゲハが来ない.一度だけ上空を通過したジャコウアゲハを見ているから,気長に待つことにしている.食草を植えるだけでなく,成虫の吸蜜植物もそろえてやるともっと効果的だろう.我校庭には目下のところ,オニユリ,ハマユウが多く,付近の空地にはヤブガラシが見られるだけである.アゲハ類の食堂であるクサギを植えてやろうと思っている.こうして我校庭で生産されたアゲハ類が今ごろどこかを飛び回っているだろうと思うと愉快である.庭をもつ方は一度試みられたらどうだろう.
本誌No.20で「山梨県に同好会の芽ばえ」と題して紹介した山梨昆虫同好連絡会は,本年春,「甲州昆虫同好会」として正式な同好会のスタートをしました.その記念すべき最初の会誌です.
山梨県の昆虫相の解明は,本県の昆虫の研究上にも欠くことのできない問題です.甲府盆地以南の地域については,従来より「駿河の昆虫」誌上にもしばしば調査報告がなされてきましたが,調査の一本化,地域の将来の発展のためにも,地元にこそ標本・資料を集積しておかねばならないと思います.山梨県に同好会を,という声は本会々員の中にも多くありました.6年前に知り得た,当時まだ高校生であったメンバーが,その期待にこたえて−というよりも期待を大きく上まわって今日に至ったことは,たいへん喜ばしいことです.これからも多くの方々のご協力をお願いします.
内容はつぎのとおりです.
北原正彦:八ヶ岳に生息するタカネヒカゲ(Oeneis norna sugitanii Shirozu)は絶滅か
北原正彦:八ヶ岳高原清里10月の蝶類
渡辺通人:シロチョウ属3種の個体群関係に関する研究1(マーキングによる行動分析の試みの1例)
ほかに短報が14篇あり,いずれも蝶に関するものです.タテハチョウ越冬成虫
の観察,本栖高原の幼虫観察などや,ヒメギフチョウ,スギタニルリシジミ,ムモ
ンアカシジミなどの記録があります.
甲州昆虫同好会
会費は一般・年2000円,大学および高校生・年1500円,中学生以下・年1000円,
会誌「山梨の昆虫」年3回以上,連絡誌は「月見草便り」
(清 邦彦)