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<Webちゃっきりむし 2004年 No.139〜142>

● 目 次
 平井剛夫:長旅をしたツマグロヒョウモンが日本平に舞っていた頃から思うこと (No.139)
 永井 彰:ヘレナキシタ・トリバネアゲハ類に出会える  バリ島バタフライパークを訪ねて (No.140)
 北條篤史:静岡県における蝶の盛衰  (No.141)
 高橋真弓:日本産ミヤマシジミをめくる諸問題 (No.142)

 ちゃっきりむし No.139 (2004年3月20日)

  長旅をしたツマグロヒョウモンが日本平に舞っていた頃から思うこと 平井剛夫

 昨年の10月末に,静岡の兄の克男から「日本平のツマグロヒョウモンの記録を駿河の昆虫に出したら」との電話連絡を受けた.まだ小学生だった頃,兄と日本平に虫採りに行ったときのことが鮮やかに蘇った.日本平,翅の少々痛んだツマグロヒョウモン,この2つのキーワードは前からあった.しかし,正確に1955年という採集年がすぐさま出てこなかった.その標本を保管されている北條篤史さんに兄から詳細なデータを尋ねてもらった.採集月日は7月17日ということもわかった.

 48年前のその日,兄と二人で,母の用意した水筒とにぎりめしをもって家を出た.採集用具は,捕虫網,三角缶の二つだけだった.用宗駅から東海道本線に乗り,降りた草薙駅から日本平へと登山道をたどった.裏山が虫採りの主な舞台だった頃の自分たちには,文字通りの遠征だった.日本平の頂きへ出る前に樹種の豊富な素晴らしい雑木林を通り抜けたのを憶えている.林の中には,ジャコウアゲハかクロアゲハの大型のアゲハが飛んでいたように思う.今から思えば,格好な採集地だったはずである.日本の各地でみられたように,平地から少し山がかった林がゴルフ場へと変わってしまっていた.その雑木林も同じ運命をたどっていた.

 日本平(有度山307m)といえど小学生の足には大分時間がかかった.峠の茶屋付近で昼食をとった.帰るまでには未だ時間があった.日本平から久能山に行くルートを知って峠から急な山道を降りることにした.後年,ロープウェイで久能山まで行ってみたが,そそり立つ崖に沢の道が続いているのを見下ろすことができた.昔の自分たちの姿を追う気持ちであった.もちろん,当時にはロープウェイなどはなかった.

 しばらく急な階段の坂道を下って行ったが,久能まで降りつくのは時間的に無理と判断して,日本平へと再び戻ってきた.坂道が終わって平坦な頂へと出たところに,草が少し茂っていて,赤土の裸地がところどころに広がっていた.すると,そこにはヒョウモンが舞っていた.今まで見たヒョウモンとちがって,橙色かレンガ色がかった翅をしたヒョウモンだと思った.最初の一振りでは,はずしてしまった.でも,ぐるっと回転して戻ってきた.兄と,そっちへ行ったぞ,こっちへ来たと,呼び交わしながら,やっとのこと,しとめることができた.

 帰宅して,用宗町のチョウの第一人者の北條さん宅に標本を持ち込んだ.このチョウがツマグロヒョウモンで,当時では珍しい種類であることを教えてもらった.採集するとき捕虫網の当たり所が悪かったのか,翅が一部破れていたため,標本作りをお願いした.

 高校を出て東京で大学生活を送ることとなったとき,集めた思い出の虫を数個のドイツ型の標本箱に入れた.その中に,このツマグロヒョウモンの標本も入っていた.就職して,職場が,北海道,つくぱ,福岡,栃木,そして再びつくばと変わった.そのたびに,この標本もいっしょに異動した.思えばこのチョウも北から南へと長い旅をしたものである.

 6年前,父の初盆で用宗に帰ったとき,自宅の庭に1頭のツマグロヒョウモンが舞ってきて,通り抜けて行った.あれは,その前年にこの家で息を引き取った父の生まれ変わりかもしれないと思った.その帰りに,用宗駅で,北條さんに出逢った.北條さんにこの標本をお渡しして役立てていただこうと思った.本誌「ちゃっきりむし」118号(1998年)に「ツマグロヒョウモンを探そう!」という記事を北條さんが発表されていたからでもあった.そして「駿河の昆虫」No.204(2003年)のインセクトノートに48年前の記録として報告することとなった.

 今,私は茨城のつくぱ市に住んでいる.職場の裏に雑木林があって,一昨年,なつかしいクロコノマチョウの姿を見た.茨城では数年前から土着がほぽ確認されている.早春から初夏に越冬したと思われる秋型の個体が採集されているからであった.

 高校生になって,通った高校の近くにお宅のあった高橋真弓さんの門を叩いて,本会の会員になった.1950年代後半に,それまで分布の確認されていなかったクロコノマチョウが静岡のあちこちで姿を見せるようになった.当時,本会がおこなっていたこのチョウの分布調査の手伝いをいくらかすることができた.

 今回,1頭のチョウが,虫の分布拡大の歴史的事実を示してくれた.正確なデータのついた標本を長く残すことがいかに大事なことか教えてくれたように思う.オオタコゾウムシという牧草の害虫が外国から侵入したため,我が国での分布拡大の経過を仕事として調査したことがある.その時,大いに参考になったのは,地元の昆虫の分布を長期にわたって根気強く調査されていた方々のデータであった.何人かの方から標本箱にあったから調べて欲しいと送られた標本も有力な証拠となった.

 ツマグロヒョウモンは今は静岡では平地に普通のチョウになっている.多くの例で示されているように,南の虫が分布を北に拡げている理由は温暖化の影響だとも云われている.このチョウの場合は,食草としてアメリカスミレサイシンという外来種の増えたこととも関連があるのではと前述の「ちやっきりむし」で北條さんが記されている.なんでも,あらゆる種類を,というのは無理かもしれないが,少ないから,珍しいからではなくて,地元の在来の種や,未知分布の種と,相互に関連づけながら,等価に長く調査を続けてゆくことが大切だと思う.このたった1頭の標本を保存するため,50年近くも毎年防虫剤を更新することを忘れないでいたことは良かったと思っている.

 あと半年程すると,このツマグロヒョウモンを採ってから50回目の夏がやってくる.

 ちゃっきりむし No.140 (2004年6月3日)

  ヘレナキシタ・トリバネアゲハ類に出会える バリ島バタフライパークを訪ねて  永井 彰

 キシタアゲハ(Troides 属)の飛ぶ姿をフィールドでご覧になった方はどのくらいいるのだろうか?日本最南端の島,沖縄の波照間島では1995年から何度か採集記録があるが,この記録を見ると1回の採集ではせいぜい数頭で,これが群れ飛ぶ姿を見るには,もっと南方の東南アジアヘ行かなければならないだろう.

 しかし,決心して出かけたとしても,行く先の採集現場で必ず出会えるという保証はない.10年ほど前に,マレーシア クアラルンプール郊外のテンプラー公園付近で採集をした時,キシタアゲハを見たが高いところを飛び,後翅の黄色い斑紋を黄金色に輝かせてアッという間に消えてしまった.捕虫網は届かず,カメラにも遠すぎた.これが私のキシタアゲハとの最初の出会いだった.こんな大型でダイナミックなチョウの姿は多くの人に狙われるためか,採集禁止になっている国も多く,殆どがワシントン条約対象種になっている.それでもチョウの愛好家なら,採集は難しくてもキシタアゲハ類とトリバネアゲハ類を間近に見て,思う存分に写真に撮ってみたいと思うのは当然と考えられる.

 今年の正月に東海大のサンゴ礁研究グループの学生たちが卒論の発表が無事に済んだら,卒業旅行にインドネシアのバリ島に行き,スキューバダイビングをしようという計画があるという話を聞いた.インターネットでバリの情報を探し,あちこちアクセスしてぃるうちに「バリ バタフライ パーク」という施設ができて,ゴクラクトリバネアゲハ(Ornithoptera paradisea )の写真があり,有名なトリバネアゲハやインドネシア各地の特産種に出会える唯一の場所であると書いてあった.

 ここは是非訪問したいと考え,卒業旅行を引率する上野信平教授に頼み込んで,一行9人の中に混じって行くことになり,3月4日発のインドネシア航空で現地に向かった.

 バリには4日間滞在の短い旅行だったが,始めの2日はダイビングチームに付き合ってバリ島東側のチャンディダサに泊り,メンバーがスキューバに行っている間,海岸近くの農村やその周辺の林内で採集し,夜はアラックというヤシの樹液からつくった蒸留酒を学生たちと飲んで楽しんだ.後半の2日は宿泊場所がデンパサールに近いクタという町に移ったので,このうち一日をバリ バタフライ パークの筆頭株主で,いくつかのチョウの飼育場を経営している出谷裕見さんにお願いして案内して頂いた.

 案内して頂いた場所は,バリ島の中心都市デンパサールの北方へ車で30分ほど行くとタバナンという町があり,ここから更に7kmほど山へ向かって北上したワサナリという棚田の多い農村地帯の一角にあった.まだ開発されずに残っている熱帯林に接して突然2メートルもある大きなゴクラクトリバネアゲハのモニュメントが現われるが,ここがバリバタフライパークだった.

 車を降り,ヤシの並木を抜けて,入館料4万ルピア(約600円)で中に入ると,大きなゲージの中にはランの花,サンダンカ・ヒギリ・ハイビスカスなど熱帯の花が咲き乱れ,その中をヘレナキシタアゲハ(Troides helena )が何匹も悠然と飛び回っている.他にストリオオゴマダラ(Idea stolli )やアオネアゲハ(Papilio peranthus )が翅のブルーを輝かせて飛ぶ.足もとのアイリスの葉にヘレナキシタが交尾中で30cmほどに近づいても動かず,ここぞとばかりにシヤッターをきり,念願だったキシタアゲハの姿をフィルムにおさめることが出来た.

 しかし 今回はトリバネアゲハ類の姿がなかった.その理由はインドネシアでも規制が厳しくなり,中央政府森林省の飼育許可とトリバネアゲハの母チョウもしくは蛹をバリまで移動させる地方政府の許可の期限が切れ,遅れてやっと許可更新され,これから飼育を始めるところだそうで,ゲージ内に展示できるのは6月ぐらいになる予定とのことだった.04年夏からは 空飛ぶ宝石ともいわれるゴクラクトリバネアゲハと西イリアンのメガネトリバネアゲハ(Ornithoptera priamus ),ハルマヘラ島のアカメガネトリバネアゲハ(Ornithoptera croesus )の3種が揃ってここで見られるとのことで,再訪を約束してこの撮影は次の機会にまわすことになった.

 ここで配布されているパンフレットには「有名なトリバネアゲハやインドネシア各地からの特産種のチョウがご覧になれます.アジア最大の蝶園でコーヒーショップ・スーベニアショップも完備されていて,ご家族連れにも最適」と書いてあった.

 バリでは2年前のデンパサールに近い繁華街レギャンで大きな爆発テロがあり,これ以後日本人観光客は減少しているとのことだった.その上 観光コースは東側の山地キンタマニー・バトウール湖地区という覚えやすい名前の方が人気で,バタフライパークのあるタバナンやこの北にあるブラタン湖方面は客足が少なくなったと云われた.ここで聞くとヨーロッパ方面からの客は減らないのに,日本人客は大分減ったとのことだが,チョウを観察したり,カメラにおさめたりするにはもってこいの静かな条件で,今回も日本人は私たちだけで,他にはヨーロッパからのお客が1組だけだった.

 トリバネアゲハに興味のある方は多いと思うが,分布は西イリアンやハルマヘラ島などなかなか行きにくいインドネシア東側の島が中心である.キシタアゲハも数種が用意できるとのことで,ここはキシタ・トリバネの実物を知る上で貴重な施設であると思う.

 このバタフライパークのまわりの森林は歩きやすい道が整備されていて,チョウの採集は自由で,ハレギチョウやコリンナルリマダラなどを採集できた.

 冬の日本はチョウの見られない季節が長く,南の方へ出かけてみたい衝動が高まることが多い.旅費もバリは格安航空券を探せば,沖縄の波照間へ行くより安く上がるのではないかと思う,赤道の南バリヘ出かけるチャンスがあれば,チョウの好きな方には十分訪問する価値のあるところと思われた.

 ちゃっきりむし No.141 (2004年9月20日)

  静岡県における蝶の盛衰 北條篤史

 静岡県において記録された蝶は,「静岡県の蝶類分布目録」(駿河の昆虫編 諏訪哲夫編著 静岡昆虫同好会)によれば161種である.これらのなかにはいわゆる迷蝶として飛来した蝶も数種ある.ここ10年間で,かつて多く見られたが現在ではほとんど見られなくなった蝶がいる.逆に1990年代後半から2000年にかけて増えた蝶のなかには迷蝶ではなく土着している種がいる.

 「静岡県の蝶類分布目録」を見ると県内の蝶の豊かな記録は1960年代までが最も輝いていて,1970年代,1980年代にじわりと姿を消してゆく蝶が多くなった.1990年代から2000年にかけてはもう絶滅したのではないかと思われる蝶が何種か出てきた.そして,南方から飛来して迷蝶ではなく定着した蝶が増えている.このような現象について今後の予想を北條のオオボラで考えてみたい.

滅びゆく蝶たち
 まず,2004年に発行された,「守りたい静岡県の野生生物 一県版レッドデータブックー」(企画・静岡県環境森林部 自然保護室)に記載されている蝶類は45種もある.ただ,絶滅した蝶から絶滅の心配はないが減っている注目すべき蝶まで入っている.列挙してみよう,絶滅種はオオウラギンヒョウモン1種で大室山における1967年7月29日1♀の記録が最後である.絶滅危惧IA類はシルビアシジミ,ヒメヒカゲ,スジグロチャバネセセリ,オオイチモンジの4種である.シルビアシジミは富士川から姿を消し,5年前には天竜川からも姿を消した.絶滅したと思う.スジグロチャバネは過去2つしか記録が無くその後の記録は無い.オオイチモンジは大井川上流でまだ生息していると思う.高橋会長がかつて幼虫を採られた,ドロノキのご神木は健在である.ヒメヒカゲは今でも激減しているが生息している.絶滅危惧IB類のチャマダラセセリ,ヒョウモンチョウはかつて富士山の朝霧高原に多産したがほとんど見られなくなった.何故かと? それは現地にゆかれて見ればわかります.絶滅危惧U類では,ヘリグロチャバネセセリ,ヒメシロチョウ,クモマツマキチョウ,ベニモンカラスシジミ,ゴマシジミ,ヒメシジミ,ウラナミジャノメ,ホシチャバネセセリ,オオチャバネセセリ,ヤマキチョウ,ウラナミアカシジミ,クロシジミ,クロツバメシジミ,アサマシジミ,キマダラモドキの15種.富士山に生息している草原性の蝶は数年後には消えてゆくであろう.現地にゆけばわかります.クモマツマキ,ベニモンカラスは細々と見られるが,探索次第では見つかると思う.クモマツマキは大井川の源流の支流を探せば案外多産地が出そうだ.ベニモンカラスは水窪周辺では白倉川,大洞山(オオボラヤマ)が有望だ.さらにホラを吹けば,大井川上流,寸又峡周辺のクロウメモドキを探したら出るかもしれない.準絶滅危惧種ではギフチョウ,ミヤマシジミ,クロヒカゲモドキ,ハヤシミドリシジミ,オオミスジの5種.ギフは県東部は無理だが西部では多産している(ただし採集禁止だから,採ってはいけない).オオミスジは確かに減っているが西部では見られる,このあたりは個体が他に比べて一回り大きい.ここまでの27種が絶滅の恐れあり,滅びゆく蝶である.最後に要注目種として,ジョウザンミドリシジミ,コキマダラセセリ,オナガシジミ,カラスシジミ,コヒオドシ,ベニヒカゲ,ウラジャノメ,ギンイチモンジセセリ,ミヤマシロチョウ,ウスイロオナガシジミ,ホシミスジ,コムラサキ,クモマベニヒカゲ,アカセセリ,フジミドリシジミ,オオヒカゲ,ムモンアカシジミ,オオムラサキの18種.これらのなかで,調査次第では新記録の可能性があるのはコキマダラセセリ,カラスシジミ,ウラジャノメ,ウスイロオナガシジミ,ギンイチモンジセセリ,ホシミスジなどである.カラスシジミ,ジョウザンミドリ,ウスイロオナガは大井川上流で採れるだろう.ギンイチモンジセセリ,ホシミスジ,ウラジャノメの調査はとくに注目される.ギンイチは県西部では菊川で見つかり,東部では浮島で記録された.隣接地域の調査が重要.ホシミスジは最近関西周辺で増えている.とくにユキヤナギが主食草のようで年2化しているようだ.本県でも里山から山間部の野生のユキヤナギ自生地を探すと見つかる可能性が高い.ウラジャノメは諏訪さんに聞くのが一番だけど,きっと自分で苦労して探さないと採れないよ!と言われるだろう.わたしは春野町の岩岳山に一緒にゆく約束をして飲みすぎ二日酔いで行けなかったから,彼は見事に採って来た.それ以来ウラジャノメに関しては何もゆえないのだ.そして南方系の蝶の北上が騒がれているが,いわゆる北方系の蝶で南下傾向のものがいる.ウスバシロチョウである.安倍川水系での現象で,藁科川では過去に記録のない下流の水見色,大原,富厚里,安倍川では蕨野で記録されている.従って,ウスバシロチョウとナガサキアゲハが混生んているのだ.藁科川ではウスバシロチョウはさらに南下して,ナガサキアゲハは北上するであろう.

定着しそうな蝶たち
 次に,今後本県に飛来し定着しそうな蝶についてホラを述べたい.まず,5,6年前から増え続けている蝶ではナガサキアゲハ,ムラサキツバメ,ツマグロヒョウモンがあげられる.もう我々の住宅地を我が物顔で飛び交う,ナガサキアゲハ,ツマグロヒョウモン,そして街路樹や公園のマテバシイからムラサキツバメの幼虫が見られる.いわゆる南方系の蝶の北上分布である.このタイプとして今後期待される蝶はなにか.最有力はヤクシマルリシジミである.愛知県の渥美半島での菊池さんや白井さんの調査では豊橋付近まで来ていて,本県に来るのは時間の問題らしい.上記3種の入り方から見て,侵入定着の時は一気に広がると思う.つぎはやはり,知多半島で定着したミカドアゲハが有望だ.本県の西部における,オガタマノキの場所を探して注意したい.そして,イシガキチョウはどうだろう.三重県松阪市では中西大兄の話ですとイシガキチョウがかなり見られるようになったとのこと.過去,松阪市に侵入定着した蝶は数年後に静岡県に来ている.上記3種はすべてそうである.イシガキチョウは数年前に,浜岡町で記録されている.食草は十分にあるから可能性はおおいにある.最後にオオボラを二つ.水窪周辺,下伊那隣接地域でキマダラルリツバメ! 後は,ご存じ天城山地域,シシンラン自生地のゴイシツバメシジミだ! もうないかな,後は皆さんのホラを期待します.

 終わりに,「静岡県の蝶類目録」に記載されていない新記録種をあげておきます.タカネキマダラセセリ(土着)大井川源流,三国沢.ホソオチョウ(放蝶?)天竜川下流.オジロシジミ(迷蝶)安倍川平野,の3種である.

 ちゃっきりむし No.142 (2004年11月25日)

  日本産ミヤマシジミをめくる諸問題 高橋真弓

はじめに
 ミヤマシジミ Lycaeides argyrognomon は,静岡県とその付近では,天竜川,大井川,安倍川などの大きな河川の河原や堤防,および富士山麓の砂れきが広く露出した草原などに生息していますが,近年個体数が減少し,静岡県版RDBでは準絶滅危惧種に,またその全国版では絶滅危惧第U類に選ばれています.

 ミヤマシジミの世界的分布は,かつてヨーロッパから中央アジアを経て,一つの流れは極東ロシアのアムール,ウスリーから朝鮮半島を経て日本(本州)に,他はシベリアから北米大陸のアラスカを経て,カナダ,アメリカ合衆国に及ぶものとされていました.

 このミヤマシジミについて,近ごろその種の分類や日本産の扱いなどについていくつかの問題が出てきましたので,それらについて考えてみたいと思います.

ミヤマシジミの細分化
 北米大陸産のミヤマシジミについて,ハウィーは,旧大陸産と同種の argyrognomon とし,これをいくつかの亜種に分類しました(Howe、1975).ところが,同じくアメリカ人の研究者スコットは,これを旧大陸のミヤマシジミから切り離し,近縁のタイリクミヤマシジミL.idasに属するものとして扱いました(Scott、1986).

 さらに,ロシアのトゥーゾフらは旧大陸のミヤマシジミを細分して,ヨーロッパのものを argyrognomon ,南ロシアから東シベリアにかけて分布するものを maracandicus ,モンゴルからアムールにかけてのものを mongolicus ,中国北部,朝鮮半島や日本のものを pseudoaegon というように,これまでミヤマシジミと呼ばれていた一つの種を,以上の四つの種から成ることを提唱しました(Tuzov et al.2001).

 これらの分類に使われた形質は,大きさと翅型,交尾器,翅のもよう,そして地理的分布などですが,卵・幼虫・蛹など幼生期の特徴や食草などの調査はまだまだ不十分で,“種”についての検討が十分に行なわれたとはいえません.

種と亜種のちがい
 この問題は,古くはダーウィンの頃から生物学者の頭を悩ませてきたテーマです.

 いちぱんわかりやすい例は,たがいに形態や斑紋が非常によく似た集団(個体群)が同じ場所で混生し(同所的個体群),原則として両者の間に雑種が生まれない場合です.日本ではスジグロシロチョウとエゾスジグロシロチョウ,サトキマダラヒカゲとヤマキマダラヒカゲ,ヘリグロチャバネセセリとスジグロチャバネセセリのような関係です.

 そこでたいへんこまるのは,二つの集団がたがいに離れて分布している場合(異所的個体群)です.両者がたがいに種か亜種かを正確に知るためには,両者の間の雑種を人工的に作ってみて,それが代々支障なく子孫を作っていくならば同じ種に含まれる亜種の関係,もし何代かで雑種ができなくなって死滅してしまうならば別種ということになります.

 しかし実際には,すべての場合についてこのような実験を行なうことはまず不可能です.そこで,現実的につぎのような判断をすることになります.

 その一方の種Aが他の場所で,比較しようとする種Bとは別の近縁種Cと混生し,AとCの間に一定の形態的な差があったとします.そこで,AとBとの間に,AとCと同じ程度の差があるならば,AとBはいちおう別種とする,というわけです.

 ところで,モンゴルやバイカル湖東方の草原には小型の maracandicus と大型で翅型に円味のある mongolicus が分布し,両者は微妙に生息地が異なるものの,一部に両者が混生しているところがあります(Gorbunov、2001).この両者の形質がそれぞれ安定しているところから,両者の関係は,トゥーゾフらがいうように,たがいに別種と認めるのが自然かと思われます.

 このほかに,これらの四つの“種”の接点でたがいの“種”と種”の間でどのようなことがおこっているのか,実際に野外で確かめる必要があると思います.

 そこで,これらの大陸産と日本海によって隔離されている日本のミヤマシジミは大陸産と同種なのか,それとも別種なのか,という問題がおこってきます.つぎにこの問題について考えてみたいと思います.

日本産ミヤマシジミは独立種か
 上に述べたように,トゥーゾフらはウスリースク,中国北部,朝鮮半島および日本のものを種 pseudoaegon としましたが,その基産地は北海道胆振で,実は北海道にミヤマシジミは分布せず,これはヒメシジミに当てられた名前なのです(川副・若林,1976).そこで他のいくつかの名前のうちで命名年代のもっとも古い ussuricus (Forster、1936)が“種名”として採用されることになります.

 この ussuricus と日本の praetrinsularis との間には,すくなくとも成虫の形態と斑紋に,先に述べた maracandicus mongolicus との差と同等またはそれ以上の差が認められます. ussuricus は日本産よりも一般に大型で裏面の色が淡く,♂ではほとんど白色となる場合もあります.また♂の表面の青紫色は暗くて光沢に乏しく,翅脈が黒いので“スジグロミヤマシジミ”と呼びたいくらいです.

 これに対して日本産の♂は青紫色に強く輝き,私はおそらく日本のミヤマシジミは世界中のミヤマシジミの中でもっとも美しいものであろうと思っています.

 さて,日本のミヤマシジミが大陸のものから独立した種(日本固有種)かどうかを知るためにどのようなことをしたらよいでしょうか.(以下次号に続く)